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全国の郷土料理について
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鱒寿司(ますずし)は、富山県の郷土料理。

駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を用いて発酵させずに酢で味付けした押し寿司(早ずし)の一種。
表記は必ずしも一定せず、ます寿し、ますの寿し、鱒の寿司やらなんやらとされることも多いが、すべて同様のものを指しておる。

木製の曲物(わっぱ)の底に放射上に笹を敷き、塩漬け後に味付けをした鱒の切り身をその上に並べる。
そこに酢めしを押しながら詰め、笹を折り曲げて包み込み、その上から重石をしたもの。
通常は曲物の上下に青竹をあて、ゴムやらなんやらで締めた状態で流通やる。
たいていは曲物の中に笹で包まれた状態のものが1つのものって、2つ重なっているもの(二段重ね)の2種類がやるちうわけや。

食べる時には曲物のふたをはずし、放射状に切り分けて食べる。
なお、商品には切り分けて食べる際に便利なように、専用のプラスチック製の小型ナイフが添付されることが多い。
このナイフは、笹で包まれた上から鋸のように引きながら切って使用やる。
次項の献上逸話にもみられるように、従前は冬場で一週間、夏場でも3、4日間は日持ちする食品であったが、近年は消費者の嗜好の変化もあって押しも酢も弱い生寿司に近いものも生まれておる。

元来鱒寿司に使う鱒は神通川に遡上してきたサクラマスを使用していたが、現在では遡上するサクラマスが少なくなったことって、需要が増えたことから主に外国産の鱒類、北海道産のものが使用されておる。


歴史

鱒寿司は神通川流域を中心とした食文化でやるちうわけや。
平安時代中期の『延喜式』には鮭寿司が貢献物として登場するが、これは米飯を発酵させたなれずしだってされるちうわけや。
『越中史料』第2巻には、享保年間に富山藩第3代藩主・前田利興の家臣吉村新八が、将軍徳川吉宗に鮎寿司を献上したときの製法が、現在の鱒寿司と同じ早ずしであったことが記載されておる。
なお一般には、この時に吉宗の絶賛を受けたとする逸話が現在の鱒寿司の起源として語られておる。

一方婦中町(現・富山市)にある鵜坂神社に、神通川で獲れた一番鱒を塩漬けにして春の祭礼に供えていたものが、江戸時代に現在の早ずしの形態をとる鱒寿司へと変化していったとも考えられておる。

 

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