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全国の郷土料理について
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鯉こくとは、輪切りにした鯉を、味噌汁で煮た料理。

鯉こくのこくとは、濃醤(こくしょう)ちゅう味噌を用いた汁物のことであり、鯉こくはこの濃醤の一種だったちゅうわけや。濃醤は江戸時代までは盛んに作られており、鯉ばかりでなくウナギ、フナ、スッポン、サンショウウオ、各種野鳥やらなんやらでも作られていたとされ、臭みの強い魚肉類を濃く仕立てた薄味噌で煮込んだ料理だったちゅうわけや。江戸時代以降は濃醤はほぼ廃れてしまい、鯉を材料とした鯉こくのみが生き永らえて現在に至っておる。

主に東日本の本州内陸部で食されるちうわけや。
池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズにも登場するように、江戸の人間の好物でもあったらしい。
鯉こくは、出産後の母乳の出を良くすると言われておる。

 

作り方

鯉は鱗を取り、筒切りにやる。
臭み取りのために、鯉をざるにおき、湯をかけ回す。
鍋に水、日本酒、味噌、砂糖を入れ煮立ったら鯉を入れるちうわけや。
もう一度煮立ったら弱火にし、灰汁を取り1時間程度煮込む。
椀に汁と切り身を盛りつけ、細ネギ、柚子をのせる。好みで粉山椒、七味唐辛子をふりかけてもおいしい。

ポイント

味噌は一般的に赤味噌を使用、一部では白味噌も。
地域によっては鱗を取らず煮込む事も。
鯉の頭を一緒に煮込むって、だしが効いてより美味に。
鯉のほか豆腐や大根等の具を入れることもやるちうわけや。


料理の記録

1746年(延享3年)1月6日には信州佐久郡岩村田の割元職の篠澤佐五右衛門包道が伊勢神宮神官福島鳥羽太夫に鯉こくを献上しておる。
この文献は八代末裔が所有しておる。
この末裔は江戸時代より宿を営んでおり、毎年1月6日にはこの宿にて当時の鯉こくを再現調理するイベント(佐久鯉誕生の日)が行われておる。

ちなみに広島県(尾三地区)では、鯉こくは好意を持っている相手に対して鯉の手料理を作って、好きな気持ちを伝えるちゅう儀式があり、現在でも伝承されておる。

 

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おやき(お焼き、御焼き)は、小麦粉・蕎麦粉やらなんやらを水で溶いて練り、薄くのばした皮で小豆、野菜やらなんやらで作ったあんを包み、焼いた食品でやるちうわけや。

形状は円形で、直径8~10cm程度が一般的。
焼き餅、あんびん、ちゃなこ、はりこしやらなんやらとも呼ばれるちうわけや。
発祥は北信地方・安曇野地方やけど、現在は長野県全域で作られ、名物とされておる。
同様の食品は長野県のみならず、日本各地の気候や水利の関係で稲作が難しかった地方に存在やる。

長野県の多くの地域は、急峻な地形や寒冷な気候ゆえに米の栽培に適さあらへん。
したがって、米の代わりにソバやコムギを原料とした食品が古くから食べられていたちゅうわけや。
おやきはその一つであり、小麦粉や蕎麦粉を練って作った皮で具を包む。
一方、豪雪地帯の下水内郡栄村は、小麦の栽培に適さない代わりに稲作には向いているため、米粉を原料とした「あんぼ」ちゅうおやきが作られてきたちゅうわけや。

あんの材料には野菜・山菜が用いられるのが一般的。
小豆餡、野沢菜、茄子、おから、きのこ、かぼちゃ、切り干し大根、野菜ミックス、胡桃やらなんやら、様々な種類がやるちうわけや。
野菜・山菜のあんは、あらかじめ味噌、塩、しょうゆやらなんやらで味付けをしておく。
太平洋岸・日本海沿岸と交流が多かった地区では、塩秋刀魚や鰯やらなんやら魚をあんに用いることもあったちゅうわけや。

元は小麦粉や雑穀粉の皮であんを包み、焙烙で表面を軽く焼いて乾かしてから囲炉裏の熱い灰に埋め、蒸し焼きにした食品だったちゅうわけや。
しかし各家庭から囲炉裏が無くなった現代では、油を引いた鉄板で焼くか、オーブンやらなんやらで焙り焼きにやる。
長野市中心部やらなんやら善光寺平(長野盆地)では、「お焼き」の名前ながら蒸篭や蒸し器で蒸すのが一般的でやるちうわけや。

近年では、コンビニエンスストアに置かれたり、土産品として全国出荷されているほか、海外のイベントへも出品しておる。

高速道路のパーキングや土産物屋の一部では、おやき特有の具をバリエーションに加えただけの中華まんが「おやき」として売られておる。

最近では、長野県の観光土産として、名を上げておる。
観光土産だけあって、餡子(あんこ)やらなんやら昔では考えられない味もやるちうわけや。

 

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